女子力を高める、たった一つの方法:女子の言う「女子力」は逃げである

目配り、気配り、心配りを、いつから「女子力」と言い始めたのでしょう。

私は会社の中でも、友達の間の中でも、「女子力が高い」と言われています。

特に自分から女子力を高めようと思ったことはありません。

確かにピアノを習ったり、お料理を習ったりしましたが、それも私個人の趣味で、自分の作る料理を家族に残されたことをきっかけに始めたものでした。

ですが昨今のお料理教室ブームからか、お料理教室に通っていることすら、「女子力」のネタとして扱われてしまいがちに・・・。

女子力とは?

私は社会人バスケサークルに入っていて、バスケをするにも得点番やタイムキーパーが必要ですし、最後はモップ掛けをします。

得点番やタイムキーパーは、確かに試合後するには体力がなくてきついですが、それはみんな一緒。

私は特に人見知りが激しかったので、得点番やタイムキーパーをすることで居場所を見つけようと模索していました。

そのことも、女性陣からは鼻につくらしく、男性からの評価は上がる一方ですが、この仕組みもいまいち理解できません。

人が困っていたら手を差し伸べる。

人が疲れていたら代わりにやってあげる。

これらは女子力ではなく、ただのお互い様、助け合いの心です。

お互い様の心が欠如していることの言い訳に「私は女子力低いから~」と自分でいう女性は、単に面倒くさいことから逃げているだけです。

人と人が心地よく関係を築く上で大切なのは、目配り・気配り・心配りだと、私は小学生の時に担任の先生がおっしゃったのを、今でもずっと心においています。

日本人としての繊細さもそうですが、目に見えない、ずっと深い場所で相手を思いやる心を持てば、自然と行動は優しく温かいものになります。

私利私欲のままでは、何も得ることはできません。

もちろん正直者は馬鹿を見ますし、優しい人は損をします。

そういうマイナスの部分だって十分あることは確かですが、それでも自分の中に曲げない芯があり、それを守り抜くためなら、正直さを見てくれる人、優しさを見てくれる人は現れます。

私が大切にしているのは、まっすぐに人と向き合うことです。

そのまっすぐさに、下心も損得勘定もないので、周りが煙たがるようなことも私は涼しい顔してやります。

女子力ではなく人間力

女子力は、いかに男性を転がせるか。

男性が心地よく転がるために、様々な手法を考えるので、女子力とはとても理性的なものです。

女子力と人間力を勘違いされている方が多いなぁと、今日も職場で嫌味を言われながらも、頭の片隅でこっそりと「私はこれでいいのだ。」と考えています。

私に対して「女子力たかーい」と言い続ける子に彼氏がいませんが、私にはもちろん素敵な彼がいます。

女子力を高めたいなら、まずは人間力を高めること。

人間力を高めるにはたくさんの欲や壁、風当りはありますが、バカボンのパパを見習って、今日も私は気配りをし続けます。

「これでいいのだ。」